2013年3月7日(木)知デリ in 萬福寺 「ゆらぎ」ながら、生きる

知デリ in 萬福寺 「ゆらぎ」ながら、生きる

料亭かと思ってました、萬福寺

前からちょっと気になっていたので、大阪大学がやっている「知デリ」に行ってみた。今回の会場は南堀江の萬福寺。ってどこ? アップルストア心斎橋じゃないの? まあ確かに最近のアップルストア心斎橋は、2階もしっかり売り場になってしまって、iPhone や iPad が大人気のせいかいつも人が多いし、こういうイベントをやりにくくなったかもしれない。前はジーニアスバーに用事がある人しか2階にいないかんじだったから、人の出入りが少なくて使い勝手良さそうだったけど。

で、萬福寺。ありましたありました。オレンジストリートのアーバンリサーチとかあるあたりのちょい北、南堀江公園の南側、和風で瀟洒な建物。てっきり料亭かなにかだと思っていつも前を通り過ぎてた。お寺だったんだ。

僕が着いたのは7時前で、そのときは中高年の方が二人開場を待っているだけだったけど、中のお堂に通されてしばらく待つうちにぽつりぽつり人が集まって、開演する頃には30人ぐらい、小さなお堂に用意されたざぶとんが、ちょうど埋まる程度の人数になっていたと思う。平日の夜とはいえ、おもしろそうな内容なのに、意外に少ない。

料亭かと思ってました、萬福寺

萬福寺の外観。お寺だとは思わなかった。

必然に吸い寄せられる身体

簡単なゲストの紹介があって、最初のパフォーマンスは、舞踊家の岩下徹さんによる即興ダンス。僕は岩下さんを全然知らなくて、それどころか即興ダンスというものを見たこともなかったんだけど、今回これに行こうと思いたったのがきっかけで、今回即興ダンスを披露してくださるとのことだったし、予習替わりに YouTube で岩下さんの即興ダンスをちょっとだけ見てみた。ほんとに10秒か20秒ぐらい。

でまあ、正直を言えば、これ実際見たらうっかり噴き出すか引くかするんじゃないかと思った。でも逆に「実際に見た」時自分がどう感じるのか、がぜん興味がわいてきた。それであえてそれ以上の情報を入れずに、まっさらな状態で即興ダンスをこの目で見るということをすごく楽しみにしていた。そんなわけで始まる前からけっこうわくわくしてたんで、たぶんちょっとニヤニヤしていたと思います。すみません(笑)。

実際にパフォーマンスが始まると、まったく予想外の感覚にとらわれて、そのことに心底驚かされた。僕はもっと日常を壊す異物感があるんじゃないかって思ってた。異物感や奇妙さによって見るものの常識をゆさぶるところに眼目があるのかなと。ところがそうじゃない。全然違う。

照明が落とされスポットだけが中央に柔らかい光を投げかけるお堂の中、岩下さんが「それでは始めます」というようなことをぼそっとおっしゃって、さっと姿勢を変えたとたん、場の空気があきらかに変わった。それまでは人の動きに抵抗することなくただただよっていた空気が、あたかも自分のただよう先は自分で決めるといったようすで、ゆるやかにたゆたいながらも何か弾力を持った手触りのある物質のように感じられる。

ダンスは、この空間に自分が動くことができる間隙はそこにしかないとでもいうような、ゆっくりと慎重な動きで始まった。音楽も何もない。ただ足が床をする音と押し殺した息づかいだけが聞こえる。

やがて動きは激しさを増し、時に飛び跳ね、寝転がり、全身が痙攣する。常軌を逸した動き? たしかにそう見える。でも僕がずっと感じていたのは、人は本当はこのように動きたいのではないか、ということだった。しかも、この世界が、この人がこのように動くことを予定している!

それは予定調和ということじゃない。まったく予測不能でありながら、振り返ってみてそれしかなかったと思える、そんな動き。瞬間瞬間、世界の側が動きの型枠を用意する。と同時にダンスの動きがその型枠にすっぽり収まる。世界の用意する型枠と人の意志が一瞬の遅れもなくぴたりと一致し続ける。

たとえばサッカーで針の穴を通すようなパスが次々つながって、見事にゴールが決まる場面を思い浮かべてみるといい。次に何が起こるかまったく予想できないにも関わらず、まさしくこうであるべきだったと思う瞬間が重ねられて行く。そんなとき何かピッチの上にプレイの型枠が次々現れて、それが現れると同時にそこにぴたりぴたりとプレイがはまり込んで行くかんじがしないだろうか。そしてプレイするものもそれを見るものも、世界と一体化するような感覚を味わうだろう。

まったく目的のない静寂の中に、それと似た感覚が再現されている。激しい動きもさぐるような手つきも、その場、その瞬間には、それ以外にあり得なかったものとして演じられる。即興ダンスとは、自らの動きをこの世界に完全に組み込もうとする試みなのかもしれない。そこにない異質な世界がダンスによって立ち現れるわけではないのだ。自分でも何を言っているのかよくわからないが、僕なりに感じたことをせいいっぱい言語化してみました(笑)。

岩下さんは、パフォーマンスの後の対談で、知的障碍がある人々とのダンスを通じた交流に触れて、彼らの動きは「必然」だからかなわないとおっしゃっていた。岩下さんのダンスは、鍛えられたバランス感覚ゆえに成立する無理な姿勢や動きによって構成されている。言われてみれば、知的障碍がある人も、そのときどきの気持ちを表してか、身をよじるような姿勢や、唐突で激しい動きをすることがあるように思う。

そうした日常的感覚からは無理があると思える姿勢や動きが「必然」というのはどういうことだろう。でも誰もいない時、何かイヤなことを思い出したりして、つい変な動きをしながらうめいたりすることってないですか? 僕はあるんだけど、あの動きはたしかに「必然」ってかんじがする。ふーむ。

それから僕は岩下さんのダンスに限りなく自由な身体を見たわけだけど、必然に一致し続けることに自由を見ているのだとすると、自由や自由意志っていったいなんだろうとも思う。人が自由に耐えられず隷属に逃れながらむしろ生き生きとしていることがあり得るのは、自由の感覚と隷属の感覚に実はどこか似たところがあるからなのかもしれない。

ダンスの中に現れた、棚をよじ上ろうとするような仕草や引き戸を引こうとするような仕草を思い出せば、アフォーダンスという概念も関わってくるように思ったし、僕らの生きるこの世界が決して世界そのものではなくて、僕ら自身の感覚器の限界によって制約され、さらにそれぞれの過去の経験によって解釈されて、再構成されたものに過ぎないということも思った。

と、こんなぐあいで、気がつけば、帰りの電車の中でも、ベッドに潜り込んだあとでも、どこへ行き着くとも知れない益体のないことをひたすらぼんやり考えていたりするわけで、アート、おそるべし、デスヨ。でもやっぱりうまく言葉にできない。

生命はいい加減なほど生き残る

岩下さんのパフォーマンスに続いては、「いい加減な私」を肯定する四方先生のプレゼン。四方先生、最初に紹介されたときは背が高くてしゅっとしたかんじだったのでわからなかったんだけど、話し始めたらなんか不思議な人だった(笑)。

いやでもいつだったかテレビでおみかけしたなあと思って、しばらく考えてたんだけど、たぶんサイエンスZEROか何かで見かけたんだと思う。コズミックフロントの宇宙生命絡みという可能性もあるかなあ。とまれその番組ではぴちっとしたカラフルなボーダーのタートルネックを着てらして、漂わせる雰囲気が年齢不詳の先生だなって思った記憶がある。そんで、タートルネックお好きなんだと思います、たぶん。

けど気持ちが若いというのとはちょっと違う。そういうんじゃなく、年齢とか立場とか全然意に介さない人なんだなと思った。いろんな意味で境界線上を飄々と生きてるかんじ。こういう枠にはまる気がさらさらない人、とても好いと思います☆ めざしたい。

学生さんも、特に将来大学に残る気なら、この先生の「いい加減」なとこ覚えておいた方がいいと思う。なんか自分より下の世代の子って、就職難が常態化したせいか、「意識の高い」ことを言わなければならないプレッシャー強いのかなってときどき思う。けど、四方先生って全然そういうのがなくて、後の対談でも「うわーそれ思うだけじゃなく言っちゃいますか」って何度か思った。だがそれがいい。自分自身の感覚で直接世界と触れ合っていることがベースにあるかんじがする。そういう自分自身の素の言葉じゃないとインスピレーションの交感って起こらないと思う。

たまにいるでしょ? 高度に知的に訓練されているがゆえに知的に不自由な人。つまり、どんな話題でもうかつなことが言えないって思い込んでて、いつも偉大な先人の言葉遣いでしかものを言えなかったり、常にメタな視点や誰かの視点からしかものを見ない人。あんた自身はどう思うんだってことがいつまでたってもわからない人。そういう人は博覧強記でめちゃくちゃ頭が切れて、自分にはとてもかなわないと思ったりするわけだけど、一方で、先人が開発した補助器具ごしに世界とおそるおそる触れ合うことしかできないって意味で、知的に不自由だなって思う。

そんなね、常に全方面がんばることないんですよ。誰かと語り合うのにいちいち装甲車に乗って相手に銃口突きつけなくていいんです。いい加減な感覚で、自分自身で感じ取るってことがベースにないと、それがんばる意味あるのって思います。って何の話だ。

とは言え四方先生も何ヶ月も続く実験や観察を地道にこなしているわけで、きっと言うほどいい加減じゃない。お話に出てきた大腸菌の実験も(ご本人がやったものではないとのことだったけど)数ヶ月観察するものだったみたいだしね。がんばってる意識なくがんばれることが仕事っていいよなあ。

そうそう、その大腸菌の実験の話がとてもおもしろかった。大腸菌と粘菌をいっしょにしておいておいたら、大腸菌が粘菌に全部食われて、エサを食いつくした粘菌もやがて死に絶える、そして何もいなくなる、とおもいきや、そうはならなかったっていう。一部の大腸菌が粘液みたいなものを出して食われずに生き残っちゃうそうな。で、結果的にどちらも死に絶えない。

あとで食い尽くされずに生き残る場合の条件があるのか質問してみたんだけど、どうやらどちらかがどちらかを食い尽して全滅させるってことの方が難しいらしい。たいていその生き物のふるまいとしていい加減な変な個体が現れて生き残ってしまうとのこと。うーん意外。生存戦略、しましょうか!

ただ、家に帰ってから、エサが競合する繁殖力の強い種といっしょにされたら、エサを奪われて全滅したりしやすいんじゃないだろうかとか、思った。どうなんだろう。

四方先生のお話は、それだけで二時間はいけるだろうってトピックを三分で流してしまうかんじで、そりゃ15分から30分でなんか話せって言われても困るっていうのが正直なところだとは思うんだけど、それつっこんだところをもうちょっとくわしく聴きたいって思うことばかりでした。油膜でくるんだ人工生命もどきとか、やたらリアルなタンパク質合成CGとか、緑色蛍光タンパク質合成する大腸菌とか、みんな数十秒でさらっと終わってしまった(^^;。あらまあ。

対談という即興

対談では、四方先生がずっとマイペースなのに対して、岩下さんの方が気の毒なくらい四苦八苦しているかんじがした。阪大がホスト役のイベントなのに(笑)。

当初はお二方とも「「ゆらぎ」ながら生きる」というテーマに落としこもうと努力されていたように思う。四方先生からは、ふだんはいい加減にフラフラしていて、都合のいいところでじっとする、それでだいたい生命はうまくやっている、一方で、即興ダンスを見ていると、いろんな動きをときに小さく試しながら、気持ちがいいと思った動きを前面に押し出しているように思えた、両者は似ているんじゃないか、というアイディアが出されたりした。

ただ、僕自身は(四方先生の話す生命の生存戦略には大いに共感したものの)岩下さんのパフォーマンスに「ゆらぎ」をあまり感じなかった。あれはむしろ途切れのない「必然」の連続だったように思う。後知恵だけど、もし「「ゆらぎ」ながら生きる」ということに話題を落とし込みたかったのなら、岩下さんがなぜ即興ダンスに行き着いたのか、その生き様に水を向けていれば、また違った興味深いお話を聴けたかもしれない。

それはさて置き、とにかく岩下さんのパフォーマンスがあまりに強烈だったからだろう。話題は自ずとパフォーマンスに関わるものとなっていった。今回音楽を使わなかったのはなぜか、即興とは何か、あるいは、音楽家と即興でダンスをあわせるときの感覚はどういうものなのか。四方先生の素朴な疑問に岩下さんは真摯に答えられていたし、四方先生は常に自身の生命観に引き寄せて感想を述べられていた。この企画のタイトルにこめられた目論みはややはずれたかもしれないけれど、お二方の自分自身が取り組んでいることへの思いがよく伝わってくる対談になっていた。

なによりおもしろいのは、お二方も言及していたけれど、即興について語り合いながら、その対談そのものが即興となっているところだ。バラバラに空中分解しそうになっても、その都度共感やひらめきがつなぎ止める様はまさに、即興で演じられるパフォーマンスそのものだった。

最後に会場から質問してもよいってことになったので、僕も質問という形で即興に参加してみた。いやもう普段引きこもってますから。人としゃべること自体ほとんどないし。けっこう緊張しましたよ。でもがんばったッス!(>引きこもりっぷりに心配している各位)

この日は花粉が酷くて、実は岩下さんのパフォーマンスの途中で鼻水がたれてきて、しかたなくティッシュをさがしたんだけど、そしたら集中力がとぎれてそれまで感じていた固い空気がふっと消え失せてしまって、その瞬間気がつくと岩下さんが目の前にいたっていう(^^;。そのことにあせりつつ、いよいよ鼻水がたれてしまうわ、ティッシュはみつからないわ、どうしようかと思ってたらポケットにかんだカスのティッシュがあったんで、とりあえずそれで鼻を拭きました。と、今度は岩下さんがしきりにこちらに手を差し伸べてくるわけですよ。ひー。

その手のひらにはものすごい引力があって、僕はどうしたって鼻水でしめったこのティッシュをその上に置かざるを得ないって気持ちになった、、、んだけど、目をそらして必死にこらえてた。だってだいたい鼻水で濡れてて汚いしね、それやっちゃって、このパフォーマンスを成り立たせている空気を壊したらどうしようとも思ったし。

で、岩下さんに、あのときどういうことを考えてらしたのか聞いてみた。岩下さんは、載せても良かったんだと言う。載せても載せなくてもダンスは続くのだと。あとから思うに、僕は何を「考えて」らしたか聞いたけど、たぶん岩下さんは何も「考えて」いなかったのだと思う。僕の発した微妙な気配があの動きの型枠を形作った。そこにぴたりとはまりたくなっただけ。もし僕がティッシュを載せてそれが触りたくないものとして感じられたなら、きっとそれにふさわしい動きが喚起されたはずだし、それを見て誰かがくすりと笑っても、その気配に反応して新たな動きが加わったことだろう。

うまく質問できたようには思えないけど、質問してみて良かった。岩下さんも四方先生も楽しげに答えてくださったし、四方先生の答えを受けて、粘菌と大腸菌の奇妙な共生が即興の有り様に似ているという岩下さんの感想も興味深かった。それぞれ勝手にやってるんだけど、共生といえなくはない関係が成立しているあたりがかな。

他にもいろんなひとが質問してたけど、この会場規模だったら別にマイクいらないんじゃないかなって思った。もっと気軽に発言できるようにしてもよかったかもしれない。オレがオレがって人が万が一出てきたら司会者に押さえてもらってね。

思いがけず得難い体験ができた夜になった。これは楽しいわ。帰り道、誰かと今日のことについてずっと語り合いたい気分だった。自分には大して引き出しがないので、知的バックボーンがしっかりした人がいるとなおいいです。ぼっち参加だから、叶わぬ願いですが。夜通しでも行けます☆

あとツイッターとかネットにはかしこいひとがたくさんいて、自分が感じているもやもやを胸の空くような140字でときどきすぱっとはらしてくれたりして、そんなとき僕は何かしらの霊感を受け取るわけだけど、今日のこれはツイッターやらネット優に一年分の霊感があるね。むしろこういうリアルな霊感のかすかな断片を求めてツイッター見ているときがあるような気がする。ここ数日ツイッターとかネットあんまりうろついてないのは、飢餓感が薄れたからだな、きっと。

また機会があったらぜひ参加してみたいと思った。あんまり人が増えても困るので宣伝したくない楽しさ(笑)。

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萬福寺・大阪南堀江(大阪市西区南堀江1-14-23)

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