2013年6月15日(土)第8回 エコール・ド・東山 に行ってきた

本日のケーキ。桃のタルトでした。おいしいヨ!

本日のケーキ。桃のタルトでした。おいしいヨ!

ローマの魅力とバロックの関係

本日一本めは前川文さんの「バロック・ローマ嚮導:教皇シクストゥス五世の街路網計画」。ということで、バロック文化が花開いた頃、ローマ教皇たちがどのような目論見で街路を整備していったのかを振り返る一時間でした。

ちょっと残念だったのは、前川さんの問題意識を共有しそこなったために、最後のまとめまで今ひとつ何が問題とされているのかよくわからなかったこと。おそらくローマ好きの集まる学会などでは、言わずもがなの前提がいっぱいあるんだろうと思う。そのへん知らないので、話に興味を持ってついていくのが難しかった。

たぶん前川さんは、ローマの街がなぜこれほどまでに魅力的なのかってところに一番の関心があるのだと思う。今日のお話も、街としてのローマの魅力は、幾何学的な形や秩序を重視したルネサンスではなく、不規則で過剰な装飾にあふれたバロックの時代に(ローマ劫掠による荒廃から)復興されたからこそ形成され得たってお話だった。教皇たちが街を舞台に、いわば個人的趣味に走ることができたのは、彼らがルネサンスのルールから解き放たれていたからだと。

お話の中に「フィレンツェとちがって」という言葉が度々出てきたのが気になった。だって、僕はフィレンツェの街とローマの街がどう違うのか知らない。フィレンツェとの比較は、一般向けに話すときの鍵になるんじゃないか。

たとえば京都といえば東西南北に整然と街路が貫く碁盤の目だろう。花の都パリは? ランドマークが必ず見えるように放射状に街路が整備され、土地の起伏に関わらず窓の高さまでそろえている、とことん計画的で人工的美しさが追求された街、と言えそうだ。じゃあフィレンツェは? ローマは?

ローマの街が他の街とどう違い、どう魅力的なのか、いろんな街と比較しながら、その魅力を最初に共有できたなら、今日のお話はもう少し違って聞こえたのではないか。特に、行ったことのない人間には違いを想像できない、フィレンツェとローマの違いは何か。フィレンツェと比べてもローマが魅力的だというのはどのあたりなのか、このへんちゃんとわかっていたら、もっとおもしろく聞けたかもしれない。同じことを言うのでも、街路が整備された経緯を時系列順に淡々と説明していくより、今こんな風に魅力的なのは実はこうだったからなんですよって言われた方がきっとおもしろい。

スライドの情報量は思い切って減らして、551のCMじゃないけど、ローマ〜(これはという写真/どやぁ!)、ローマじゃないとこ〜(しょぼん)、みたいなかんじで、ご自身の趣味や情熱をもっと前面に押し出した方が、一般向けには伝わるものがありそうな気がした。

って、ついダメ出しめいたことをしてしまったのは、二本めのプレゼンがうまくて、一本めがなんか気の毒で…。二本めの方は、おそらくふだんから大学生相手に教壇に立ってたりして、学生みたいな顔してらっしゃるけどプロですからね。場数が違うだろうし、比べる必要は全然ないけど、負けるなーって思ったので。

でも実は、このあとの二本めの方が内容的にはうすかったんだよね。けれども、構成や見せ方、話術が巧みで、お話に引き込まれた。人に何かと伝えるには、内容だけじゃなくそのあたりの技術も大事だなあ。プレゼン技術を見るという意味でも、この会は勉強になる。意外とみなさんそれぞれに独特だし。

ちなみにかくいうワタクシ、自意識過剰なのでプレゼン超苦手です。人前で質問するのですらダメです。でも「れっつ、ていかるっく!」とか「すーぱーびゅーりふぉー!」とか「まーゔぇらす!」とかかっこよく言えるようになってみたいわー。手はだいたい胸のあたりで握って、強調したい時アゴ先の空間からなんかつまみ出すみたいな仕草をするのがポイントッヨ!!

西田幾多郎と水路閣

本日二本めは中嶋優太さんによる「日本の西洋哲学者、西田幾多郎」。学部生時代の先輩だったらしいベレー帽のおしゃれなお姉さんにやたらかわいいかわいいと紹介され、実際年齢不詳で中性的な方だったんですが、苦笑気味にご登場。29歳だそうです。ほう、そうですか。ということはベレー帽のお姉さん、もっとお若いのかと思ってたら案外いってらっしゃる。ア、アタシだって案外いってらっしゃる比べなら負けないわ!!

ま、そんなことはどうでもいいんですが。

中嶋さん、学生みたいな風貌と打って変わって、しゃべり出したら、老成といっていいほどの落ちついた物腰、柔和な笑顔、にじみ出る知性がただならぬ地頭の良さを感じさせる方でした。それでいてハイセンスなおしゃれさんと来れば、年上のお姉さんのハートを次々に鷲掴みにしてこられたのも当然と言えましょう。おばさまキラーでもいらっしゃる。(知らないけど)

あのファッションを完全に自分のものにしてなじませてしまえるひとってなかなかいないと思う。特徴的な丸めがねや袴風に見えるズボンのせいか、大正や昭和初期を思わせる和モダンなかんじ。研究対象の生きた時代を多少意識してたりするのかな。

またスライドがセンスよくて。ミニマルでありながら必要なことがきちんと伝わるようレイアウトされているし、最低限挿入された写真も切り取り方がうまかった。こういうひといるんだなあと、変なところで感心してしまった。

僕自身は、あれもおもしろそう、これもおもしろいんじゃないかと目移りして、目移りしている間結局何も成せずに時を無駄にする性質なので(それゆえにどんなわがままを通しても思ったことを最後までやりきりたいと思い、無理くりわがままを通していたらこうなってしまったわけだが)、自分が興味を持ったこと、いいと思ったことを、他のことを気にせず、自信を持って堂々とやっている、それこそ「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」を地でいく人をみかけると、なんとなく憧れてしまう。ええ、本当に、まれに見る逸材です(キャラ的な意味でも)。

人前で話すことに慣れてらっしゃるのか、天賦の才能か、おそらく両方だろうけど、お話が聞きやすかった。なにより上手に構成されていた。まずは「哲学の道」を銀閣寺からたどりながら西田幾多郎の人生を振り返りつつ、疎水の行き着く南禅寺の水路閣を紹介。まあ僕はあれを見ると、懐かしさよりも明治の廃仏毀釈・神仏分離のえげつなさを感じてしまうんだけど、今となってはすっかり周囲に溶け込んで、歴史的な建造物となっているのも事実だろう。そんな今は懐かしさを感じさせるものでも、明治時代は最先端だったんですよーというところから、西洋哲学もまた当時の人々にとってはなじみのない新しい学問だったというところに持っていくのがうまいと思った。会場から遠くない場所の話からつなげるのがいい。

ギリシアに端を発した西洋哲学は、19世紀末、世界の東の果て、この日本にも本格的に伝わった。つまり日本は西洋哲学の終着点と言える。その終着点で西田幾多郎は、まったく新しい学問として西洋哲学に出会い、それを道具として取り入れるのではなくその精神を自らのものとしようとした。西田の目を借り、西洋哲学をその終着点から眺めることで、初めて見えてくるものもあるのではないか。日本哲学を学ぶ意義はそのあたりにある。そんなお話だった。

でも西田幾多郎が具体的にどういうことを考えていたかについては最後まで触れられず終いだった。門外漢の僕でも、難解な大哲学者としてその名前だけは知っている。それだけに1時間やそこらでわかりやすく概説するのは相当難易度高いんだろうね。あとで茶話会の時聞いたら、「個人」を否定するところに特徴があるというようなことをおっしゃってたので、最近作家の平野啓一郎さんが提唱している「分人」を思い出したりした。発想は似てたりするのかな。両方読んだことないからわからないけど、ちょっと興味出てきた。

そんなこんなで茶話会が終わり、帰りがけふと見ると、中嶋さんがテーブルにちょこんと一人残って、講演のせいで食べそびれたケーキをおいしそうに食べてらした。なんというか、、、きっ、期待を裏切らないっっ!!

本日のランチ

会場へ向かう途中、財布の中に現金が3,450円しかないことが発覚。最近交通機関は ICOCA だし、クレジットカードで払えるときはクレジットカードで払っちゃうし、現金なくてもあまり困らないから、ついお金を引き出しそびれるよね! ATMに手数料取られるのが癪なので今日は3,450円で乗り切ることに。そして無事乗り切った!☆

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