2013年1月23日(水)國分功一郎「暇と退屈の倫理学」の感想文
あとがき
ひー。ツイッターに連投することあるならたまには日記書けばとマイブラザーに言われたのがきっかけで、ふと思いついて年明けからだらだら書いてたんだけど、まさかこんなに長くなるとは思わなかった(^^;。気づけば3万8000字。これだけの長文をそれも「だ・である」調で書いたのっていつぶりだろう? 学生時代のレポート以来? だいぶ調子に乗ってテキトーなことを断言しまくったので、ちゃんと着地するのかこれって思ったことですワ。文体をどうするかはほんと迷った。暇倫に引きずられたりして安定してない。でもまあいいや、感想文だし。ずいぶんと暇倫に挑戦的な感想文となったのは、「君はどう思う?」と問われたこともあるけれど、最近考えていることを暇倫の構成に乗せれば、だいたいぶっちゃけられる気がしたから。でも終盤ちょっと飽きてしまった。本を書くってすごいなって思う。少なくともこの4倍は書かないといけないし、ちゃんと論拠もしっかり勉強して書かないとだめだもんね。尊敬する。ブログで内容のある書評なんかをコンスタントに書く人もすごいよなあ。
念のために言っておくと、この感想文はほんとにテキトーなので、たとえば大学のレポートの調べもので間違ってこのページがヒットしてしまった学生さんは、くれぐれもこの感想文なんかを参考にしてはいけません。せめてどこかの大学のドメイン下にある論文やレジュメを参考にした方がいいですよ。特にボードリヤールの言ってることはたぶん僕の興味のらち外で、翻訳が読みにくかったせいもあるのか、「消費社会の神話と構造」は斜め読みしかしてないです。まあでも一度挫折して、暇倫読んでからざっと読んだらちょっとおもしろかった。國分さんとは目に入る文章が違うという意味でも。
あと、結論がビバ!友達!みたいになったのでリア充みたいだけど、僕自身はまったくそんなことはないのだった。すこし前にかなり精神的に危機的な時期があって、そのころ友人関係も一度に失われたように感じたものだから、そのとき逆に友人の思いやりにずいぶん助けられたのです。あのときは自分がだんだん透明になって消えてしまいそうだった。
だまって手を握ってくれたマイブラザー。落ち込んでそうと知るや(そのときはそんなでもなかったんだが)、仕事の都合も放り出し乳飲み子抱えた奥さんを車に乗せて(ええええ…汗)、400キロ車を走らせ会いにきた某氏(笑)。しかも小一時間うちにいただけで帰っていった。帰りは徹夜ドライブだ。クールだぜ。彼はいろんな意味特別だけど(^^;、ほかにも、いくつになってもヲタ話をだらだらできるとかw、女性だけど結婚してもそれまでと変わらず会えて二人でふらふら散歩してお茶するとか、生まれた国が違うのになぜか会うとほっとするとか、おっさん同士なのにカフェでケーキを半分こできるとか、子どもの成長に立ち会わせてくれてそうするのを喜んでくれるとか、子どものような笑顔で山の中を走り回るとか、まあいろいろあって(といってもリア充ではないので月に一度もないわけだが)、その都度それらはあちこちから自分が失いかけている自分をひとつひとつ照らし出してくれた。そうしてようやく自分の形みたいなものを取り戻せた。やっぱり自分は「〇〇はこうあるべし」みたいなことにとらわれない、型にはまらない人が好きなんだなと思う。
だからこの感想文の結論も僕の欲望に寄り添ったものにほかならないわけです。そんなもんです。それにしてもけっこう頭使って楽しかったので、たまには長めの文章も書こうかなと思った。
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