2014年3月8日(土)ぜいたくな京都ツアー
ひさびさにぜいたくしましたよ。
- (2014年3月15日(土) 午前3時34分56秒 更新)
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京都国立博物館。西側の正門から見た姿の方がかっちょよろしいです。考える人がいます。
まちかどミナポート
京都は意外と狭い。嵐山から東山までだってせいぜい10キロ程度だし、しかも起伏がほとんどない。だから自転車があると、京都のどこにでも行けてしまう。鴨川沿いには自転車も走れる遊歩道があって、七条から信号を渡ることなく下鴨神社まで行ける。下鴨神社から上賀茂神社までも、賀茂川沿いに遊歩道があり、桜の季節にはしだれ桜がとてもきれいだ。
ということで、今日はクレジットカードかPiTaPaひとつで、無人のステーションから自転車を借りられる「まちかどミナポート」を利用してみた。安いところなら他にもいろいろあるだろうけれど、24時間どこでも好きなステーションに借りた自転車を返却できるので、時間を気にしなくていいのが使いやすいと思う。今回は午前中に「神宮丸太町ステーション」で借りた自転車を、JR 京都駅に近い「京都ヨドバシビルステーション」で21時頃返却した。
精算画面。ステーションにあるタッチパネルを操作して手続きを済ませる。
中国料理 桂心
キリム部長と自転車借りて、神宮丸太町界隈をちょっとぶらぶらした後、ランチを食べに中国料理桂心へ。やっぱりここの料理は上品な味わいでおいしい。ボリュームがあるのもいい。今回は点心を食べてみたかったので、1500円の飲茶セットにしたけど、1300円の香港午膳がおすすめ。
ダイコンモチって言ってたけど、大根餅で合ってるのかな。アツアツ、ほくほく、もちもちでおいしいヨ!☆
蒸し点心。エビシュウマイとエビ小龍包。じゅわっとおいしいヨ!☆
丸いのはなんかシナモンっぽい味がするちょっと甘い餡が入っていた。それと揚げ春巻き。アツアツでおいしいヨ!☆
海鮮お粥。お腹にやさしい味がおいしいヨ!☆
第15回エコール・ド・東山
ランチの後は別行動。北山界隈を探索しにいくキリム部長と一度お別れして、先月に引き続き、第15回エコール・ド・東山を聴講してきた。のんびりランチを食べていたので少し遅れてしまった。
ジュゼッペ・アルチンボルド「ウェルトゥムヌス」と同時代の詩人たち
本日一本目は、小松浩之さんによる、16世紀の画家ジュゼッペ・アルチンボルドの作品とその作品に捧げられた詩を手がかりに、当時の人々が彼の作品をどのようにとらえていたのかを探る30分。
ジュゼッペ・アルチンボルドは1526年ミラノに生まれ、ウィーンとプラハの宮廷で活躍した宮廷画家で、さまざまなものを組み合わせて人物像を構成する「合成肖像」を得意とし、生前は批評家などからも高く評価された有名な画家だった。ところが没後すっかり忘れ去られてしまう。彼の作品が再び注目されるには、20世紀前半のシュルレアリズム運動を待たなければならなかった。
彼が1563年に描いた「四季」連作(参考:ジュゼッペ・アルチンボルドの連作「四季」 | ムッシューPの美の探究)が最初の合成肖像だったと見られている。春夏秋冬を、それぞれ少年・青年・壮年・老年に見える人物の横顔で表現し、その姿は季節の草花や野菜で構成されている。現代人の目から見ても奇抜な作品だ。20世紀のシュルレアリズム作家が描いたと言われても、まるで違和感がない。
合成肖像は宮廷で評判がよかったようで、彼はその後多くの合成肖像作品を残した。彼の合成肖像は、単にモノの組み合わせで人物像を浮き上がらせるだけのものでなく、モノの選択に深い意味や風刺が込められることが多かった。だまし絵のような工夫がこらされることもしばしばあり、「農夫あるいは野菜籠」では、野菜籠の絵を逆さにすると農夫の顔が見えてくる。ジュゼッペ・アルチンボルド作品の多くはこのサイト「Giuseppe Arcimboldo - The complete works」で見ることができる。
一見奇抜に見えるジュゼッペ・アルチンボルドの作品は、当時の人々にどのように受容されていたのだろう。非常に人気があったのは確かで、手法を模倣する追随者はたくさんいたらしい。
このころ宮廷画家の描いた優れた作品には、宮廷詩人が詩を捧げていたようだ。ジュゼッペ・アルチンボルドの代表作「フローラ」や「ウェルトゥムヌス」にも詩が捧げられていた。小松さんは、それらの詩が、肖像が観る者に語りかける形式を取っているところに、当時の人々の自由な想像力を見ているようだった。音楽室のベートーベンよろしく、肖像が語りかけてくる、というわけだ。
たとえば、G・コマニーニが捧げた詩「アルチンボルドのウェルトゥムヌス」では、ウェルトゥムヌスの肖像がこんな風に語りかけてくる。
「お前が何者であれ、
わたしの奇妙で歪んだ像を見る者よ
唇に笑いを浮かべる者よ。
その笑みで目はきらめき、
新たに陽気さが
顔中に刻まれているぞ。
おまえが見ているのは新しい怪物、
アポロの賢明な息子たる者たち、
古代人たちがその詩において
ウェルトゥムヌスと呼ぶものだ。」
笑って見るのが前提とされているところがおもしろいと思う。G・F・ゲラルディーニの詩「アルチンボルドのウェルトゥムヌスから観者へ」でも、やはり肖像がこう語りかける。
「笑え、そしてその後に、注意深く見つめ、感嘆するがいい」
しかも「笑え」と言いながら、実はこの肖像、ローマ神話に登場する季節を司り変身能力を持つ神「ウェルトゥムヌス」の肖像であると同時に、神聖ローマ皇帝ルドルフ二世の肖像でもあるのだった。こんな風に描かれて皇帝は怒ったのではないかと思いきや、実際にはまったく逆で、皇帝は大いにこの作品を気に入り、1592年にはジュゼッペ・アルチンボルドに宮中伯の称号を与えたのだという。表面的なこっけいさとはうらはらの、描き込まれた意味の深さによって、アルチンボルドは知的で類いまれな画家とされ、皇帝からも高く評価されていたのだろう。
絵に捧げられた詩からは、奇妙な絵に吹き出したり、肖像が語る言葉を想像して、絵の前でああでもないこうでもないと議論がわき起こる様が、思い浮かぶ。茶話会で小松さんは、これは単なる妄想だと断って、皇帝はこの絵を客に見せては楽しんでいたのかもしれないと言っていた。「おもしろいだろう? でもよく見たらこれ誰に見える?」という具合だ。そう思うとウェルトゥムヌスの顔がいたずらっぽく笑って見える。
さて、翻って現代の僕らは、美術作品をどんな風に鑑賞しているだろう。静寂の中で難しい顔をして作品に向き合わなければならないと思い込んでいないだろうか。特に日本はあまりに息苦しい。小松さんはそんな風潮を疑問に感じているようで、日本で美術作品を鑑賞するときに求められる態度は、秘仏を鑑賞するときのそれに影響されているのではないかと言っていた。たしかに、16世紀の宮廷の方が自由な想像力で、わいわいと絵を鑑賞していたように思える。小松さんが指摘するように、昔の人々がどのように絵を受容していたのかを知ることは、現代における美術作品とのつきあい方を見直すきっかけにも、なりそうだね。
ところで、僕自身はアルチンボルドを知らなかったのだけれど、絵を見せてもらって真っ先に思い浮かべたのが歌川国芳だった。それもそのはず、こういう絵がお好きな向きには定番の組み合わせだそうで、だまし絵がテーマの展覧会では、決まっていっしょに並べられるらしい。茶話会では、アルチンボルドが250年の時を超え、日本の歌川国芳に影響を与えた可能性について聞いてみた。特にそういう証拠はないとのことだった。けれど、アルチンボルドに影響を受けた作家の版画などを見ていた可能性は、あるかもしれない。たとえば、「アダムの肖像」「イヴの肖像」は小さな人で顔を構成していて、歌川国芳と発想がそっくりだ。アダムの方は鼻の作り方まで似ている。
<追記>
というようなことを書いたら、エコール・ド・東山のスタッフの方がメールで、おもしろい論文を教えてくださった。そのタイトルもズバリ、「幕末浮世絵における西洋版画の受容について : 歌川国芳 を中心に (<特集>国際学術学会「東アジア海港都市の共 生論理と文化交流」)」というもの。この論文を読むと、国芳が西洋の書物に描かれた挿絵に、ある程度影響を受けていたことは否定できないように思える。彼が影響を受けた西洋版画にはアルチンボルドとほぼ同時代の作品も含まれていたらしい。とすると、国芳が合成肖像画風の西洋版画を目にしていたとしても、そんなに不思議ではない気がする。
ジュゼッペ・アルチンボルド「フローラ」1589年(出所:Giuseppe Arcimboldo. Two Paintings of Flora. | METALOCUS)
ジュゼッペ・アルチンボルド「ウェルトゥムヌス」1590年(出所:Vortumnus (Vertumno), Oil by Giuseppe Arcimboldo (1527-1593, Italy))
ジュゼッペ・アルチンボルド「野菜籠あるいは庭師」1590年ごろ(出所:Intelliblog: ART SUNDAY - ARCIMBOLDO)
歌川国芳「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ(見かけは怖いが、とんだいい人だ)」1847年(出所:【これが150年前!?】幕末の浮世絵がクール過ぎて圧倒される【まさに神】 | 幕末ガイド)
「哲学」とは何か? 〜ソクラテスとプラトンを手がかりに〜
続いて二本目は福田宗太郎さんによる「哲学」とは何かを考える小一時間。これはまた超重量級のテーマ。あまりに重すぎるので、勘所のみが的確にまとめられた発表を、レジュメに沿って、さらにざっくりまとめてしまおうと思う。難問!
日本語の「哲学」は、"philo-sophia" の訳語として作り出されたそうだ。「哲(知恵)を願い望む(希)」という意味で「希哲学」とされ、それが「哲学」となったらしい。
さて、有名なギリシア時代の哲学者、ソクラテスはどんな風に哲学したのだろう。あるときデルポイの神託がくだった。曰く「ソクラテス以外の知者はいない」。そこでソクラテスはそれが本当かどうか確かめようとした。彼はいろんな人と対話し、他者の無知を確認すると同時に自分自身も事柄によっては無知であることを確認した。そして、無知を自覚していない人よりも、無知を自覚している人の方が、ちょっとだけ知者なのだと気づいた。なるほど神様、その意味で、ソクラテス以外の知者はいない、というわけですね。「無知の知」ってやつだ。
彼は「無知の知」を出発点とし対話活動を始める。対話の主題には勇敢さや節度など「徳」が選ばれた。生活と密接に関わるからだ。ソクラテスの対話活動にはルールがあるという。
- ○ 自分の信じていること(信念)を語る ←→ × 心にもないことを言う
- ○ 一問一答、同意を積み重ねる ←→ × 長広舌
早口でまくしたて、その場その場で有利な立場に立つためには、論点ずらしも嘘も厭わない、なんてのは論外。それじゃ「対話」にならない。
ソクラテスは対話相手のあり方を吟味し明らかにすることが、知識を得たり真理を知ることにつながると考えていた。一問一答、同意を積み重ねていくと、対話相手は自分自身の信念のあやふやさ、不十分な説明しかできない現実、互いに矛盾する信念をつきつけられるだろう。そうして問題がいっそう深化していく。対話相手にとっての「無知の知」が、より基礎的な信念への気づきを促す、というわけだ。
そんなソクラテスを継承したプラトンにとって、「書かれた言葉」(書物)は「自分自身のために、また同じ足跡を追って探求の道を進むすべての人のための覚え書き」に過ぎず、無批判に受け入れられたり一方的に批判されたりしがちで、魂を持った生きた言葉とは異なる性質を持つものだった。それゆえプラトンは「対話篇」という著作スタイルを採用した。そのことで自説の特権化を回避し、「無知の知」を何度も繰り返して、より重要な信念へたどりつこうとしたのだ。
プラトンにとって「知」とはなんだっただろう。「知識」とは「正当化された」「真なる」「信念」だとされる。マグレではなく正当化されたもので、間違っておらず、信じられているもの。プラトンはこのような「典型的な知識定義」の祖とされているそうだ。それは、断片的な事実の「知」と言えるだろう。「情報」と言い換えることもできる。
しかし、断片的な事実の「知」をいくら収集しても、何かを「理解」したことにはならない。「理解」は断片的な情報を体系的に整理して把握することだからだ。魂を持った生きた言葉を重視したプラトンが、はたして断片的な事実の「知」のみで満足しただろうか。そんなはずはない。プラトンにとっての「知」は、対話によってより深化する「理解」を含んだものだっただろう。
みたいな、お話だったと、思うます。。。以上、レジュメのほとんど丸写しとあやしい再構成でお送りしました。
印象的だったのはソクラテスの対話にルールがあったところ。相手を言い負かせば何をしてもOKみたいな、昨今のあさましい風潮を、ソクラテス先生に思いっきり蹴っ飛ばしていただきたい! より重要な信念に近づく観点からは、「論破」なんかに何の意味もないってね。
ところで最近、永井均さんがとてもタイムリーなつぶやきをしていた。
有効な反論(批判)に「なる」とき、そう「なった」と捉えるのは、つねに質問された側である。質問する側はつねにただ単に質問する。ソクラテスよりももっとソクラテス的に(つまり背後にアイロニカルな意図を持たずに。すなわちただユーモラスに)。— 永井均 (@hitoshinagai1) 2014, 3月 7
ソクラテスがアイロニカルなのは実は一つの真理や一つの原理への収斂を目指しているから。反対や賛成が無意味なのは何を自明の前提として何を問いの対象とするかが人によって違い時には真逆でもありうるから。何よりも尊重されるべきなのは各人の探究課題それ自体の本質的な多様(バラバラ)性なのだ。— 永井均 (@hitoshinagai1) 2014, 3月 9
うーん、深い!
本日のケーキはイチゴのケーキ。甘酸っぱくておいしかった☆
ひさびさにぜいたくなディナー
お勉強の後、キリム部長と三条で合流。雑貨屋さんとか見て回って、お腹がすいてきたから晩ご飯を食べることにした。前から一度行ってみたかったので、京都高辻高倉にある「フランス田舎料理・レジョン(完全禁煙)」に行こうとしたら、お店に人はいたけど本日はお休みとのこと。Aコースが2,625円とリーズナブルで評判もいいみたいだから、また今度行きたい。
Googleマップがおかしな場所を示してくれたせいで少し道に迷ったこともあって、気がつくと、キリム部長がかなりご機嫌ななめになっていた…。昼間一人で自転車でうろうろして、すっかりお腹がすいていたみたい…。
それで急遽、近くにあった「ゴイチピザ (GOICI PIZZA)」に入ってみたんだけど、店内がタバコ臭かったから退散した。石釜で焼いたピザがとてもおいしそうだった、のだけど! 店内がタバコ臭かったから退散した。大事なことなので二回言いました。エゴサーチでこれを見るとよいです。タバコ臭い店は何食ってもゲロまずです。
すると、キリム部長、このあたりから完全に ムカ着火ファイアー(古い)。ぶーぶー言われながら、「ビストロ・C」へ。前来た時とちがって、ドアがついている一階だけ喫煙で、ゆったりした2階と3階が全部禁煙になっていた。すばらしい。
ここも Aコースが 3,000円と、なかなかリーズナブルだと思う。今回は Aコースにしたけれど、バラバラに頼んでもあまり変わらないお値段に押さえられそうだった。次来ることあったらコースにしないで好きなのを注文しようかな。
- オードブル
- 吉田工房のパン
- 季節野菜のポタージュ(ごぼうのポタージュ)
- 本日の肉料理
- デザート盛り合せ
- 食後のお飲物 コーヒー or 紅茶
ということで、これにワインをつけて3,600円なり! お昼と合わせて食事だけで5,100円とは、なんというぜいたく。まあ、1年に何回かぐらいは、こういう日もないとね!☆ うちは、クリスマスとか忘年会とか新年会ないから(笑)。
前菜。
京都ポークのステーキフリット。この写真で見るよりボリュームがあった。マスタードのソースがやわらかいお肉とよくあっていておいしかった。
名物らしい。
デザートと食後の飲み物もついてくる。
Map.
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