2015年7月11日(土)最後のエコール

  • 月一文化の日も今日でおしまい。

  • (2015年10月26日(月) 午後11時54分0秒 更新)
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BAKEHOUSE INOUE のパンでお昼ご飯。

今日も BAKEHOUSE INOUE のパンでお昼ご飯。

掛け合い歌、人生の意味

ということで、とうとう最後のエコール・ド・東山。

今を生きる掛け合い歌

本日一本目は梶丸岳さんによる、古代日本の習俗「歌垣」との関連からも注目されている、中国奥地に残る掛け合い歌を語る小一時間。

さて掛け合い歌とは、ある一定の旋律にその場で思いついた歌詞をつけて歌を掛け合う芸能のことをいう。歌の芸能は、歌詞が決まっているかどうかが大きな分かれ目で、歌詞が決まっていると音楽面をがんばり、旋律が決まっていると歌詞をがんばる傾向があるそう。たとえば、奄美の歌あしびは、もともと即興の歌詞で歌われていたが、80年代に歌詞が固定されるようになり、すると音楽面に工夫が凝らされるようになったらしい。

現代は歌と言えば「音楽」だと思われている。梶丸さん曰く、カラオケの影響でその風潮はますます強化されている。しかしかつて歌は、「言葉の乗り物」だった。その掛け合い歌は、言葉に重きを置く歌と言える。

梶丸さんは、中国南部の山がちな地方、貴州省で、この地方独特の掛け合い歌を調べているそうだ。梶丸さんが注目した掛け合い歌の特徴は、わりとしんみり楽しむところにあるらしい。歌詞は基本的に、定型句をその場にあわせて組み合わせるスタイルで、内容は概ね決まっているとのこと。主に男女の恋愛や年越しの準備について歌われるそうだ。そして歌がやたら長い。20〜30分の歌に、返事がまた20〜30分つづき、トータル5時間半ぐらい延々と歌われるという。

実際の動画を見せてもらったけれど、本当に地味だった。見ている人もまったく盛り上がっていない。それなのに5時間半も続くというのが、ちょっと不思議。

掛け合い歌は、漢語で歌われる場合と、プイ族の言葉、プイ語で歌われる場合があり、そのどちらも中国語・プイ語のイントネーションを無視しているという。それで若い人には何を言っているか聴き取れないらしく、あまり人気がないそうだ。一方で最近では歌い手がイベントに呼ばれ、伝統芸能として歌われることも増えてきたようだ。衣裳を着て演劇のような演出がなされている写真も見せてもらった。ただし、それでもやはり音楽面は淡々としているらしい。

梶丸さんは国内の掛け合い歌も調査している。それは秋田の「掛唄」で、仙北荷方節にあわせ、七七七五調の歌詞をその場で考え歌い合う芸能だ。江戸時代に御籠もりに付随する民謡自慢だったものが、御籠もりが廃れた大正期に掛唄のみが残ったのだと言う。こちらも実際動画で見せてもらった。みなさん歌がめちゃくちゃうまかった。


見せてもらったものとはちがうけれど、こんなかんじ。

ところで、こうやって掛け合い歌をやっていれば仲良くなるのかと思えばそうでもないらしい。梶丸さんによれば、掛け合い歌は、社交として行われているわけではないようだ。梶丸さんは、掛け合い歌を儀式として見るべきではなく、遊びとして理解するべきではないかと言っていた。シンプルに、歌を掛け合うのが楽しいからやっているのだろうと。

地味でしんみりとした中国の掛け合い歌、朗々とした秋田の掛唄、歌の楽しみも、時代と場所によってそれぞれ違うんだろうなと思う。古代日本の歌垣はどんなかんじだったろう。歌と言えばカラオケ、という現代人の感覚とはちょっとちがう歌の楽しさが、そこにはきっとあったはずだ。

「人生の意味」への問いを生むこころ

さて本日二本目は、浦田悠さんによる「人生の意味」を問う、私たちの心について考える小一時間。まさに最後のエコール・ド・東山を飾るのにふさわしいテーマと言えそうだ。

「人生の意味」そのものを論じるのではなく、人々が「人生の意味」をどのように考えているかを調べることで、私たちに共通する心のありよう、あるいは、人それぞれの個性が見えてくる。

人々が考える「人生の意味」について調査する上で、意味の意味は決めない。人々が暗黙のうちに人生の意味と考えるものを分析するのがポイントだ。

人生の意味は、人によってさまざまな観点から説明される。たとえば、与えられるもの、作り出すもの、客観的なもの、主観的なもの、スピリチュアルなもの、世俗的なもの、幸福と同じもの、幸福とは独立したもの、として。

浦田さんによると、人生の意味を「〜しないため」と考える人は、心理学調査の指標上、心理的健康度が低い結果が出る傾向があるそうだ。一方で「世のため、人のため」と考える人の、心理的健康度は高いとのこと。また「快楽」が「人生の意味」だと答える人は、「むなしさ」の点数も高いという。

発表では、「究極的意味技法」という「突然のひらめき」を生みやすいと言われている思考方法が紹介された。これは、最初の質問「〜は何のため?」から、「〜は○○のため」「〇〇は△△のため」「△△は□□のため」と遡って、究極の意味をさぐるもので、「〜のため」を結節点とした系統樹のような図を書いていく。「〜のため」はいくつ派生してもよく、合流してかまわない。

ちなみに、「〜のため」の数を究極的意味(さらに遡る「〜のため」が思い浮かばなかった「〜のため」)の数で割ったものは一貫性の指標となり、「〜のため」の数を最初の質問の数で割ったものは創造性の指標となるそうだ。

こうしたツールで人生の意味を考えてもらうこともあるらしいんだけど、ツールにたよって人生の意味を思いがけずひらめいてしまうというのは、ちょっと怖い気がした。後の茶話会で聞いたところ、やはりこうしたテーマの調査は注意深く扱われるようだった。

さまざまな方法で、人々が「人生の意味」をどう考えているのか、また、どう考えてきたのかを分析することは、人生の意味そのものを考えることとは別の気づきをもたらしてくれそうだ。

たとえば、自分が重きを置き悩んでいる「人生の意味」が、実は身近で信頼している人にとってさえ大したことと思われてないかもしれない。「人生の意味」について同じ悩みを持っていた人が、年を重ね状況が変わると違う見方をしがちなこともわかるかもしれない。

どの「人生の意味」が正しいかということと関係なく、みんな意外と別のことを「人生の意味」だと考えているんだなとか、こういうタイプのひとは似たようなことを「人生の意味」だと考えがちなんだなとか、そういうことが可視化されるのには意味があると思う。だって、僕らは油断するとつい誰もが自分と同じようにものごとを考えるはずだって思い込みがちだから。それどころか、ときには自分と同じように考える「べき」だとまで思い込む。そこをゆさぶり得る研究だと思った。

茶話会では、どうしてこういうことを調べようと考えたのかが気になってそんなことばかり聞いていたので、あとでよくごいっしょする常連さんの一人に「インタビュアーみたいでしたね」って言われてしまった。同じ質問するなら、参加者それぞれの人生の意味を語り合うような形に持っていった方がよかったかな。無意識にそういう流れを避けようとしていた気もする(笑)。

ところで、浦田さん、めちゃくちゃ若く見えるすらりとした今風のイケメンさんで、これまでのエコール・ド・東山にも一般参加で何回か来てらしたのだけれど、ずっと学生さんと思ってました。落ちついた物腰ながら、若手の俳優さんみたいなテレビ映えする風貌だから、そのうちテレビ局に目を付けられるに違いない、と、よくごいっしょする常連さんと帰り道に話したくらい。

そんなわけで、ある女性参加者の質問口調がいつもとちがったりして、イケメン爆発しろ!って思いましたw。

常連から花束を

今日は最後だったから、よくご一緒する常連さんと共謀して、花束を用意してみた。前回、帰り際ホテルのフロントでお花を予約して、ちょうど発表が終わる頃会場に持ってきてもらうよう算段をつけておいた。なんか結婚式を挙げるゲイのカップルみたいですねって言いながら、二人で肩を寄せ合って花束を選びました。

もう一人の皆勤賞の常連さんにお礼のスピーチをお願いして、その間に花束スタンバイ。当日思いつきでスピーチをふったにも関わらず、上手に最後を締めくくるようなお話をしてくださった。僕らはバタバタしてたので雰囲気はよくわからなかったんだけど、主催者のみなさんにも、参加者の皆さんにも、まあまあ喜んでもらえたんじゃないかな。よかったよかった。

またこういう若手研究者による学びの場をつくってほしいなあ。。。毎回楽しかった。

ミルフィーユ

今日のケーキはミルフィーユ。

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