2014年7月12日(土)汗だくチャリンコ、京都行き
この季節、街に出るのに自転車で移動するのはもう無理があると悟った。暑すぎる!
- (2014年7月18日(金) 午後11時30分22秒 更新)
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台風一過?
台風一過でからりと晴れるかと思ったらそんなでもなかった。蒸し暑い。
巨椋池跡からの眺め。京都盆地の向こう側の山々が湿気で白く霞んでいる。
このルートのいいところは、チェリオの自販機があちこちにあるところだ。100円で500mlペットボトルが手に入る。スポーツドリンクはどれも似たようなもんだ。
風呂!
ゴールは、土日祝日のみ朝7時からやってる白山湯。入浴料が410円で京都タワー地下の大浴場よりはだいぶ安い。ここで汗だくの体操服を脱いで、街着に着替えた。タオルと体操服は、そのまま袋に入れると臭くなる事必定だから、脱衣所の洗面台で水洗いした。
白山湯六条店。この日の薬用風呂は玉露風呂だった。サウナも気持ちよかった(笑)。
銭湯で水洗いした体操服を河原町通りにあったコインランドリーの乾燥機で乾かした。計画通り!☆
乾燥機。脱水してあるわけじゃないから、30分かかった。12分100円で300円。うーん、絞れるくらい汗をかく季節に自転車ででかけて、出先で着替えるってのは、無理があるな。帰るまで着替えないで済むならいいんだけど。
お昼はキンカーオで本日のランチ。暑いしタイご飯がいいかなと思って。汗かいた後だったので、濃いめの味がおいしゅうございました。
第19回エコール・ド・東山
二ヶ月ぶりにエコール・ド・東山 Ecole de Touzan を聴講してきた。この会は、毎回二人の若手研究者が、自身が取り組んでいる研究を一般向けにざっくり紹介するというもので、今回がちょうど二年目の締めくくりだったそうだ。おめでとうございます。
発表の後の茶話会では、僕みたいな専門知識のない素人でも、気軽に素朴な質問をぶつけられる。発表する研究者のみなさんも、茶話会ではあまり肩肘張らずリラックスした雰囲気で、専門外の人にも伝わるようていねいに答えてくれる。よくわからないことは多々あれど、とにかくこの人はこの研究が心底おもしろいのだなということだけは確実に伝わってくるから、聞いていてけっこう楽しい。あれだ。"鉄" のひとが繰り広げる鉄道漫談を拝聴するのと、少し似ている。
ちなみに会場は、ハイアットリージェンシーの地下にあるおしゃれなバーですので、汗ずくの体操服で参加するわけにはゆかぬのです。お洋服だって、引きこもりなりに気を遣うのです。銭湯に寄ったわけが、おわかりいただけたろうか! かっ!
以下、感想混じりのまとめ。発表内容を必ずしも正確に反映していないのでご注意ください。
杉山博昭「奇跡と外連〜聖史劇というスペクタクル〜」
本日一本目は杉山博昭さんによる15世紀イタリアはフィレンツェの教会で盛んだった「聖史劇」を取り上げる30分。「聖史劇」とは聖書の内容を描いた演劇で、14〜15世紀ごろにヨーロッパ各地の教会や広場で上演された。杉山さんによれば、15世紀フィレンツェの教会で上演された聖史劇が、もっとも規模が大きかったのだという。
演者から、小道具大道具、大仕掛けの舞台装置に至るまで、聖史劇を作り上げていたのは、その教会を支える兄弟会だった。人々はいずれかの兄弟会に属し、教会内に共同の祭壇を持っていた。兄弟会は、日本にある概念で言えば「講」に近いのかなと思う。「聖人講」というのがしっくりくる。
カトリックでは、神は祟らないが、聖人は祟るのだそう。聖人の記念日をおろそかにすると、聖人は怒る。そこで守護聖人の記念日に、各兄弟会は総力を挙げ、互いに外連を競い、ド派手な聖史劇を上演して、祝宴を催した。
茶話会で伺った話によると、兄弟会による聖史劇は、次のような経緯で生まれたのだと言う。
ローマを支配するようになったキリスト教は演劇を禁止した。演劇が人々を堕落させると考えたからだ。ところが7〜8世紀になると、ラテン語で書かれた聖書を読めない民衆を教化するため、聖職者がミサで聖書の場面を演じるようになる。それが人々に受け、次第に演目が増えていく。
杉山さんは、そうすると問題が起こるのだという。なぜなら、聖なる教会で、聖職者が、ヘロデ王など聖書の悪役をも演じる必要が出てくるからだ。そこで、聖職者ではない、
折しも京都は祇園祭。鉾町の通りには山や鉾が誇らしげに飾られている。笛の音甲高く、鐘をする音も涼やかに、お囃子が辻々から聴こえてくる。後日山鉾巡行のテレビ中継を見ていたら、解説の人が「わたしらは自分の町の鉾以外を見に行ったら怒られたもんです。誉めるなんてもってのほか。自分も役について勉強するまでどこにどんな鉾やら山があるのかすら知りませんでした。」というようなことを言っていた。町ごとに趣向を凝らした鉾や山があり、それぞれがわが町が一番と譲らない。鉾や山には故事や神話にまつわる物語が表現されていて、独自のご利益が信じられている。
お祭りにかける町衆の情熱は古今東西共通するのか、フィレンツェの兄弟会が各教会で上演した聖史劇は、おのおの一級のスペクタクルだったそうだ。
「洗礼者ヨハネの斬首」では、牢獄の窓から突き出た人形の首がリアルに切り落とされ、いかに首を落とすか、人々を驚かせる工夫が凝らされた。
「キリストの昇天」では、キリストが乗った雲の形をしたゴンドラが、滑車とロープで吊り上げられ、人々のはるか頭上へ消えていった。
「聖霊降臨」では、マリアや聖人たちの人形が置かれたバルコニーに聖霊を表す花火が落下し、それと同時に聖人たちの人形の背後から放射状に花火が噴き出して、聖人たちの人形がまばゆい光に包まれたという。
「受胎告知」では、聖堂の後ろにしつらえられたバルコニーから、聖堂前方のステージへロープが張られ、そこを滑車でつり下げられた天使ガブリエルが、集まった人々の頭上を飛んだ。さらには、聖霊を表す稲光を表現するため、花火をまき散らす装置が、ロープの上をものすごい勢いで飛び交った。
1439年3月25日、サンフェリーチェ聖堂でそのようすを見ていたロシア正教のスズダル主教アブラハムは「これはすばらしくも恐ろしい見せ物である」と評したそうだ。稲光を表す花火はあまりに激しく、教会中を火の粉が舞い、生命の危険を感じたとも。
当時聖史劇を女性が演じる事はできなかったため、女性であるマリア役を少年がやっていた。それを見たアブラハムは、至極冷静に、聖歌隊の幼くきれいな少年がかつらをかぶり若い女性の扮装をしていると書き記しているという。
そこには、圧倒的な外連、スペクタクルに心動かされながらも、とまどいを覚えていたようすがうかがえる。目の前で繰り広げられる聖なる物語は、結局のところ偽ものにすぎず、少年による性愛的な描写さえある。人々が魅力を感じずにはいられないがゆえに、そこに漂う不純さや背徳が際立つ、その恐ろしさ。
活版印刷によって聖書を始め、書籍が数多く出回るようになるなど、他の娯楽が興隆してくると、やがて聖史劇は廃れていった。それでも教会には、聖史劇に使われた大掛かりな舞台装置が、そのまま残されていたそうだ。後の時代、教会にある舞台装置がどのように使われたのかを、当時を知る古老から聞き取り記録した書物などもあるらしい。
時は初期ルネサンス、下層の人々を含め、なけなしの私財を持ち寄って作り上げた聖史劇には、猥雑と言っていいようなエネルギーがあふれていた。人々の表現への欲求が、彼らにそれが唯一許されていた聖史劇に殺到した。歴史上の偶然でひととき成立したスペクタクル演劇。フィレンツェのお祭り男たちの心意気を感じて、おもしろかった。そんなことしてたんですなあ。
都留恵美里「はるか遠くの日本人〜日系ブラジル芸術の開花〜」
本日二本目は都留恵美里さんが、ブラジルで芸術家として活躍し、ブラジルの芸術史にも影響を与えた日系人を知る30分。
1900年代、アメリカ西海岸では日本人移民の排斥が強まっていた。ちょうどそのころ、1902年に、劣悪な労働環境を嫌ってイタリアがブラジルへの移民政策を打ち切り、スペインもそれに倣う。そうしてヨーロッパからの移民が減少したのを埋めるように、1908年、日本はブラジルへの移民政策を開始する。途中中断を挟みながらも、1920年代後半、日本人移民が増加。1930年代にはサンパウロに日本人移民が集まるようになっていた。
そんな1930年代のサンパウロで、初めて日系人芸術家のグループ「聖美会」が結成される。「聖美会」とは「サン=聖」パウロ、「美」術、研究「会」の略だそうだ。他にも会が作られたが、それぞれ画風が統一される事はなく、「日系人」で集まる会だった。具象画を描く者も抽象画を描く者もいたが、自画像を描く事が初期「聖美会」の特徴となっていた。
やがて日系人芸術家のうち何人かが、抽象画で頭角を現すようになる。同じ抽象画でも、リオデジャネイロでは幾何学的な抽象画が主流だったのに対し、日系人芸術家が描く抽象画はアンフォルメル(叙情的抽象画)であることが多かった。日系人芸術家の中で、具象画から抽象画への流れを作ったマナブ・マベ(間部学)は、「書道的な絵画」と評され、ブラジル人画家として評価されると同時に、日本にルーツを持つことが注目されていたという。
時代が下って、2002年に開かれた50-60年代のブラジルアンフォルメルの画家たちをテーマにした展覧会では、取り上げられた4人のうち3人までもが日系人で、アンフォルメルと言えば日系人芸術家と言われるほど、日系人芸術家はブラジル芸術史に影響を与える存在となっていた。
ブラジルで、ブラジルの代表的作家となった、マナブ・マベ、トミエ・オオタケ、フラビオ・シローらには、「日本らしさ」と「ブラジルらしさ」が同時に見出されている。どうしてそんなことが可能なのだろう。都留さんはそのヒントが、1928年、オズワルド・デ・アンドラーデが発表した「食人宣言」にあるという。
ブラジル独自の文化とは何か。ブラジルのアイデンティティとは何か。ブラジルは西洋文化の影響を受けてきた、と考えられている。そうだろうか。ブラジルの先住民、インディオには食人文化があり、彼らは死者を食べる事でその人の力を自分に取り込めると考えていた。ブラジルも同じではないか。ただ影響を受けてきたのではなく、西洋を食らって自分のものとしてきたのだ。それこそがブラジルのアイデンティティではないか。
だから、日系人の「日本らしさ」を食らってこそ、ブラジルはよりブラジルらしくあれる。日系人芸術家の「日本らしさ」と「ブラジルらしさ」は同時に成立するのだ。移民国家ならではの懐の深さを感じさせるお話だった。
本日のケーキはエキゾチック・ムースのケーキ。たしか…、パッションフルーツなどエキゾチックなフルーツのムースにバナナのムース、ラズベリーのムースを重ねました☆、みたいなかんじ。甘酸っぱくておいしい。ばえー、エキゾチックぅ〜、ばりはんぱないっちゃねー(最近流行りの長崎弁風に)。
自転車無情
最近自転車で遠出するようになったので、ちょっといい自転車がほしくなっているのです。
で、この日はあちこち自転車を巡ってみた。まずは試乗できる自転車が置いてあるという、とあるお店へ。そしたら身分証明書がないと試乗できないとおっしゃる。20-30分勝手に乗り回していいみたいなんだけど、そのまま持っていかれないよう、身分証明書をあずかるんだそう。うーん、なるほど、残念。免許証持ってないないから、住基カードでも持ち歩かないとたまに困るなあ。ただ写真付き住基カードってなんかイヤだ。身分証明以外用途がないのが、管理されている感がすごくあって、嫌い。
しかも、今は試乗車もセールに回していて、試乗できる自転車があまりないのだという。タイミング悪かったのかなと思いつつ、別の自転車屋に移動して、気になっている自転車があるかどうか聞いてみた。気になっている自転車はその自転車屋で教えてもらった自転車なので、まだ置いてあると思っていた。ちなみに気になっているのは Fuji の Feather CX+。できればどこでも見た事のない Dawn Blue を見てみたかった。
ところがもう売り切れていて在庫がなかった。系列店にもなし。それどころか生産自体3月で終わっていて、メーカーにも在庫がないそうな。8-9月に各社から2015年モデルが発表されるので、それまで待つしかないとのこと。あと、最近シクロクロスが人気なので、2015年は各社ともにシクロクロスモデルを追加するはずだから、待った方が選択肢が増える可能性が高いとも言われた。
どうやら、ちょっと高い自転車は製品サイクルがものすごくきっちりしていて、売れる分しか作らないみたいだね。気に入ったやつは早めに買わないと、一年もたずになくなったりするようだ。一軒目で試乗車をセールに回していたのも、もうすぐ新モデルが出るからだね。はあ、このところ自分の中で盛り上がってたから、なんだかちょっと白けてしまった。来年のモデルどんなんかなあ。8-9月の発表を楽しみにしとこう。
などと思いつつ、帰りは3時間ほどかけてちんたら帰りました。けっこう疲れる。これが多少は楽になって、かつ速くなるなら、やっぱちょっといい自転車ほしくなるなあ。
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