2014年11月8日(土)京博知新館とかエコール・ド・東山で煎茶とか

  • 自転車で遠出しても汗をかかない季節になってきた! 月一恒例、文化成分摂取の日。

  • (2014年11月11日(火) 午前1時39分47秒 更新)
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煎茶のお手前

エコール・ド・東山でいただいた煎茶。お茶の写真も撮ったのだけど手ぶれがひどかったので、お茶菓子の写真。黒ごまと和三盆の上品なお菓子だった。

本日のランチ

今日もキンカーオでランチにした。そろそろ他のお店も開拓したいなあ。このへんで禁煙でお手軽なお値段で、しかもおいしいところ、誰か教えてください。

パッタイセット

いつも日替わりランチなので、たまにはパッタイセットにしてみた。980円。

京都国立博物館平成知新館

エコール・ド・東山の前に、大人気の「国宝鳥獣戯画と高山寺」展に並ぶ長蛇の列を横目に、平成知新館で開催されている「京へのいざない〜ずらり国宝、ずらり重文〜」を見て来た。

常設展だから一時間もあれば回れる規模だろうと思ったら、なんと広々とした展示スペースがたっぷり3フロア。三角縁神獣鏡から、ポルトガル国インド副王が秀吉に送った豪華な信書、狩野永徳の大迫力の襖絵、長谷川等伯のふさふさした猿、モダンなデザインの京焼き等々、へたな特別展より見どころが多かった。1時間程度では全然足りず、音声ガイドを最後まで聞くことさえできなかった。じっくり見るには、たっぷり2-3時間はかかりそうだ。

1階吹き抜けフロアの彫刻では、何と言っても宝誌和尚立像が強烈。宝誌和尚の顔を割ってその下から観音の顔が現れる様を彫り上げた木像で、宝誌和尚の伝説を再現したものだそう。

Wikipediaの「宝誌」の解説に、「宇治拾遺物語」巻9にある「宝誌和尚影の事」が引用されていて、その中に宝誌和尚立像の元となったエピソードが書かれている。

昔、中国に宝志和尚という聖者あり。大変尊敬された聖者であったため、帝が「かの聖者の像を、影(肖像)として残そう」と述べられ、3人の絵師を遣わした。1人の絵師なら、写し誤ることもあるから、という意味で、3人が個々に描くように、帝は命じられた。3人は宝志の所に参じ、帝の命を伝えた。すると、宝志は「暫し待て」と言い、僧服を着して戻った。3絵師が、描画の用意を整え、3人そろって筆を入れようとしたところ、宝志が「暫し待て。我が真影がある。それを見て描写せよ」と言った。3絵師が見ている間に、聖者の顔を見ると、親指の爪を用いて、額の皮を裂き切り、その皮を左右に引きひろげ、金色に輝く菩薩の面相を現した。1絵師には十一面観音に見え、1絵師には聖観音と見えた。各自が見えたところを写し取り、帝に献上した。帝は大層驚き、別の使者を派遣して様子を伺った。すると、宝志は突如姿をくらました。それより、人々は、宝志は常人ではなかったのだ、と言い合うようになった、と伝えられている。

自分で、それも親指の爪で、自分の額の皮を裂いたのか…。それはたしかに常人じゃないね(^^;。

京都国立博物館平成知新館

秋の文化財特別公開で京都国立博物館正門が通れるようになっていた。でも出口専用になっていて、外から近づいて写真は撮れてもここから中には入れないとのこと。

常住戯画展に並ぶ長蛇の列

明治古都館で開かれている「国宝鳥獣戯画と高山寺」に並ぶ人々。このときで120分待ち、中で巻物を見るのに50分待ち。翌日日曜の午前10時には入館まで240分、巻物を見るのに50分というおそるべき待ち時間となっていた。

第21回 エコール・ド・東山

京博に立ち寄った後、4ヶ月ぶりエコール・ド・東山を聴講して来た。この会では、毎回二人の若手研究者が、自身が取り組んでいる研究を一般向けにざっくり紹介してくれる。くわえて今回は一つ目の発表をする島村さんが、ご実家が煎茶道「三癸亭賣茶流」の家元ということで、会が始まる前と発表の合間の休憩時間に、煎茶のお手前を披露してくださった。当日のレポートが、公式サイトにあがっていたので、そちらもどうぞ。

煎茶

煎茶では、抹茶とことなり(といっても抹茶をちゃんと体験したことないけど)、参加者がなごやかに会話を楽しむうちに、お茶の準備が進められていく。おじぎのタイミングやお茶とお茶菓子を楽しむ順番などに一定の決まり事があるものの、それほど形式張っていないかんじだ。

身近に、おつめのことならスペシャリストの人がいるので、その某氏のお家でいただいた煎茶の味を思い出した。一煎目は昆布だしにも似た旨みがとろりと舌にまとわりつく。少しずつ口に含みながらお茶の旨みをじっくり味わううち、酔っぱらったとおっしゃる方も出て、参加者がどんどん饒舌になるのがおかしかった。

一煎目のあとに、お菓子(冒頭に載せた写真)をいただく。黒胡麻の香りがふわっと広がり、和三盆の上品な甘さがあとに引く。二煎目はややさらりとして清らかな飲み心地で、ほのかな苦みが直前にいただいたお菓子の甘さをやさしく包み込む。一煎目とはまた別のおいしさを感じた。本来は三煎目までいただくそうなのだけれど、本日は時間がないので二煎目で終了。その後、道具を片付けるまで見届けて、礼をした。片付けるまでが煎茶です!

「頼 山陽と応接の芸術」島村 幸忠

煎茶の祖といえば、高遊外売茶翁(1675-1763)なんだそう。売茶翁は佐賀に生まれ諸国を転々とした後、60歳頃京都に移り、茶道具を担いで歩いては、鴨川べりなどで、道行く人々にお茶を売っていた禅僧で、伊藤若冲や木村蒹葭堂などとの交流でも知られている。

方々で「茶銭は黄金百鎰より半文銭までくれしだい。 ただにて飲むも勝手なり。ただよりほかはまけ申さず。」 と掲げ、代金をいっさい気にせずに、禅の教えに絡めてお客と世相を語り合い、煎茶を庶民に広めたのだとか。そんな売茶翁の元には当代きっての文化人が自然と集まり、一種のサロンを形成していたという。

島村さんが頼山陽に注目するのは、売茶翁の時代から少し下り、文人趣味への憧れが高まって、煎茶が流行するとともに、煎茶が一定の形に収斂していく過程で、頼山陽が重要な役割を果たしたと考えられるからだそうだ。

頼山陽が煎茶を称揚する一方、抹茶(茶の湯)を強烈に批判しているのがおもしろい。曰く「茶というのは文盲隠しといってよい」、はたまた「抹茶は馬鹿芸」、さらには、秀吉の大茶会を念頭に「茶道具は戦争の道具」とまで言う。「日本外史」を書き上げ、日本の歴史に詳しかった頼山陽らしい。

そもそも文人とはなんぞや。万巻の書を読み、万里の道を行く。多芸、反俗、隠逸、孤高こそ文人。煎茶はそうした生活の一部としてあらねばならぬ。茶道具の名物に血眼となって殺しあいすら厭わず、ろくすっぽ書を読みもせず作法を知っているだけでえらそうにする。そんなものは馬鹿芸というのだ。(お話を聞いていて、頼山陽はこういうことを言いたいのかなと思ったことをテキトーに再構成。あっているかは知らない。)

茶話会でも抹茶との比較が話題となった。聴講者の方が、戦乱の世と天下太平の江戸時代とでは、お茶席に求められたものは自ずと変わってくるのではないかとおっしゃっていた。互いに命のやり取りをするかもしれない者同士が集まる席では、まずは一つの椀を回し飲みして一座の「和」を確認するなど、型にはまった作法が必要とされたのではないか。一方で、安心してばらばらの個人のまま集まることができる時代には、それとは異なるふんいきが求められただろう。

頼山陽は言う。ちょっとした時間をみつけて、日常の外に心を遊ばせ、そのことを深く楽しみなさいと。

ひとついじわるな質問をした。頼山陽が今の煎茶道を見たらなんと言うだろう。島村さんは、少し困ったような顔をして「怒ったかもしれないですね」と答えた。煎茶の作法が確立し、それを伝える家元が現れるのは、煎茶の抹茶化とも言える。実際頼山陽は、当時の煎茶流行を評して、最近は本当の煎茶をわかっていない輩が増えたと嘆いたりもしていたらしい。

今の煎茶道は、富岡鉄斎に代表される文人画家が出て、文人趣味が再評価された明治期、煎茶もまた流行し、各地で煎茶道の家元を名乗る人々が現れたのがその源流なのだそうだ。島村さんが「極端な人」とさえ言う頼山陽なら、たしかに怒ったかもしれない。

思い返すと、発表前の煎茶のお手前で、茶道のたしなみがある方に、作法について聞かれて、島村さんはしきりに、自由にしていいです、気楽に会話を楽しんでください、というようなことをおっしゃっていた。家元に伝わる型にはまった作法と、礼節、互いに対する敬意、日常の外へ心を遊ばせる楽しみ。売茶翁や頼山陽の精神に立ち返り、それらの絶妙なバランスを、島村さんなりに模索してらっしゃるのかなと思った。

「酸化ストレスとアレルギー」孫 安生

本日二本目はアレルギー症状発症のメカニズムと、それを抑制するかもしれない物質について。頭文字で表される物質がたくさん出てくるお話だった。アレルギー反応は、さまざまな物質が関係した非常に複雑な反応なのだ。

結びついた物質を酸化する、過酸化水素水、スーパーオキサイド、などの活性酸素種が身体の中で何か悪さをしているらしい、ということはテレビの健康番組なんかでもよく聞く。活性酸素を中和する抗酸化物質としてポリフェノールやカテキンがもてはやされてもいる。

実は、活性酸素種はアレルギー反応でも重要な役割を演じているようだ。アレルゲンを感知した肥満細胞が樹状細胞を放出し、免疫系が活性化する過程で、さまざまな反応が始まる引き金となっているという。とすれば、活性酸素種を抗酸化物質で不活性化できれば、アレルギー反応を途中で止められるはずだ。

細胞内にも抗酸化物質はあり、グルタチオンやチオレドキシンがみつかっているとのこと。チオレドキシンは1964年に大腸菌から発見され、1989年にヒトからも発見された。これらの物質が、細胞内物質の酸化と還元をコントロールしている。

つまりチオレドキシンでうまいぐあいに活性酸素種を押さえ込めれば、アレルギー反応を抑制できる、ということになる。そこで、孫さんはチオレドキシンを阻害するTBP-2というタンパク質に注目し、TBP-2をコントロールしてアレルギー反応を押さえることができないか研究しているそうだ。

僕も、スギ、ヒノキ、ハウスダスト、謎の秋花粉(イネ科の何か?)と、たくさんアレルギーを持っているので、はやくアレルギー反応を治療する方法がみつかるといいと思う。それにしても、頭文字用語がたくさんの矢印で結ばれて、まったくわけがわからない。図を見ているだけで、その意味が分からずとも、ホントに複雑怪奇! なかなか一筋縄では行きそうもないなということだけは、よくわかった。。。

本日のケーキ「オペラ」

本日のケーキは、フランスの定番ケーキ「オペラ」。エスプレッソをしみ込ませた生地と、とろりと濃厚なチョコレートが重なりあい、淡い苦みとほのかな酸味が幸せに絡み合う絶品。ケーキの上に沿えられたマロンが季節感を演出している。若そうなパティシエさんが緊張気味にケーキの説明をしてくださった。拍手! ここで食べられるケーキがめちゃくちゃおいしいというのは、エコール・ド・東山を聴講する理由の、少なからぬ割合を占めていたりする(笑)。

知新館ふたたび

エコール・ド・東山の前だけでは時間が足りなかったので、もう一度京博平成知新館を見て来た。見る時間がなかった1階の刀剣など工芸品を見て、もう一周してみた。年間パスポートを持つ者だけに許された特権(京都・奈良・東京・九州の国立博物館の平常展示が何度でも無料でご観覧いただけます)である!

3階陶器のコーナーには、まさに今日お話に出て来た頼山陽や田能村竹田とも交流があったという青木木米の涼炉や急須など煎茶道具の名品が並んでいた。昼間来た時は素通りしていた。これが文人の愛した名品かあ。島村さんの煎茶やスライドを思い出しながら鑑賞した。

まるで計画したかのように完璧な一日であったw。

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