2014年10月22日(水)自分に政治性がないと思い込みたがる人々について
有り体に言えば、困った人々です。
- (2014年10月22日(水) 午後1時39分19秒 更新)
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対話を阻害する教条
自らの政治性に無自覚な、というよりも賢明な大人は政治的に中立でなければならないという(不可能な)信仰を持つ人々は、自分が気に入らない政治的意見を目にしたとき「世の中こういうものであるのにごちゃごちゃ文句を言うのはみっともないからやめなさい」といった言い方で相手を黙らせようとする。
なぜかと言えば、縷々理由を述べてその政治的意見に反論することは、自らの支持する政治的立場を露呈することに他ならず、彼(彼女)らは、自分の信仰する教条故、それに耐えられないのだ。だから黙れとしか言えない。最後には、制度的に言って選挙以外の政治的活動は無意味などと、浅薄な民主主義観をここぞとばかりに披瀝することだろう。
しかしその割に、彼(彼女)らも自分が気に食わない政権や政策に対しては、平気で批判的な言葉を口にする。おやおや選挙以外無意味なのでは?と思うのだが、当の本人にしてみれば、「『常識』的に考えてダメなものをダメ」と言っているだけで、そこに政治性はないつもりなのである。
自らの政治性を忌避する教条を持つ者と対話することは難しい。彼(彼女)らは、その教条によって、最初に「これが当たり前」と思い定めた政治的意見を「常識」として取り扱おうとする。したがって、対立する政治的意見は端的に「わかってない」「幼稚な」意見ということになる。
彼(彼女)らには、始めから語る口も聞く耳もない。それがさほど根拠のないものだろうと、自らの常識を相手に押し付けることしかできない。「当たり前」を丁寧に説得する必要はないのだし、第一「常識」が変容しては困るのである。でなければ自らの政治性を直視せざるを得なくなってしまう。
ふわっとした俺様ルールでだまれと言ってくる人間は、たいてい自分が何を望み何を望まないかについて知らず、自らの政治性を自覚しない者である。彼(彼女)らがそれらに自覚的な者を自分より幼稚と見なすのは滑稽ですらあるが、実際問題この手の教条に凝り固まった人は多い。困難な世であることだ。
↓関連してこのサイトの分析には本当に唸らされる。
オタク=ネトウヨ文化克服のためのメモ: 飢えない限り一般人は政治に関心を持たないし、持つべきではないというサブカル保守の教条
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